以下の部分は既に作品を観て、他の人の感想や考察を見る、或いは共有したい方向けに書いていくので、まだ未鑑賞の方は気をつけてほしい。 この作品のテーマに最もふさわしい、美しいシーンが、とても丁寧に、そしてささやかに描かれていたことが、作り手が一つの答えを強く、強く信じている何よりの証明のようで。 戦禍を逃れ宇宙船に乗り込んだ人々は、光を求め水星へとたどり着いた。
4わかりあえなさ、自分が抱えるもの、他者が抱えるものの不明瞭さ、それでもそれに従わずにはいられず、未来のために生きる、という思考を美しいと捉えてしまう。
冒頭からしばらくは、スピード感についていけるのか不安に駆られました。
ブコビッチとミレナの記憶、オバクの記憶を見せられた場面での懊悩の叫びは、 「 役者・真風」だったと思います。 SF映画や漫画でも、地球人が惑星で生活をする話があります。
3シンジは精神世界の中で他人の記憶を共有したり、他者と自分を見つめ直した結果、「人間関係上手くいかないことがあっても今までのままの方が良い。
全てを画一化し、漂白していっても、それぞれの数字に素数のような「意味付け」が生まれていくというのは、どうまとめようとしても、個人というものは無くならないという一つの答えになっているようにも感じた。
娼婦みたいな真似事(オバク談)してるわりに、全然ラブい場面とかはないんだけど、私可愛い娘役さんが可愛いくて可憐な役を演じてるのも好きだけど、カッコイイ役を演じてるのも好きだわ~ そんな非合法宿で出会うのが女ンスの イエレナ(夢白あや)とでンスの ノア(芹香斗亜)。 立ち回りとしては可哀想なんだけど、振り回される姿がいとおしかった(笑) ポルンカの管理社会は今の現代や国家の問題点を連想させる へその緒というデバイスに管理統制される水星の社会は、極端にも見える一方、スマートフォンという今や必要不可欠となっているデバイスに情報管理される現代社会を皮肉的に表現しているようにも見える。
長い説明セリフもありますが、無理のない言葉選びと役者の技術で無理なく理解でき、緊張感は最後まで切れることがありません。
・・・ さて、観劇後の話になりますが、 お昼ごはんを舞台前、後、どちらで食べるか迷いそうな公演時間の場合、私は絶対に後にします。
パーフェクトは息苦しい。 とはいえ、梅田と言えば都会ですし、なるだけリスクは避けようと思い、地下鉄から梅芸まで行ってきました。
「ここではないどこか」に行きたがる。
上田先生の壮大な思考実験を見せられたような感じです。
途中から怪しい動きをしだす。
エスペラントの意味は奇しくも「 希望する人」。
夢白あやさんの真に迫った演技も素晴らしかった。
『サパ』では、とてもざっくり言うと、人類の幸せのためにあらゆる「違い」を無くし、みんなが一つになることが最善の策であると考えると「違い」があるからわかり合おうとするし、傷つくこともあるけれども、「違う」ことが当たり前であると考えるオバクとの対立が描かれている。 へようこそ! タオカ 留依さん 冒頭で世界観を説明するような役割も果たされていたと思いますがお見事。 でもポルンカでは、どうも違和感がぬぐい切れなくて。
14一方で『金色の砂漠』において、「ここではないどこか」に旅立ちたがっているのは、ギィ(明日海りお)ではなく、タルハーミネ()である。
「え、ちょっと待って? そんなのってアリ?」と思った観客もいるだろう。